narratageという単語は久し振りに目にした。
ここ最近、自分では全く理由が分からないのだが、水鳥が水面をくるくると動きまわる様子を目にして数年来感じたことのない程、心が動かされた。
最初は市ヶ谷駅が向いに見える外堀。次ぎは茅場町近くの湊橋。

生きているということはすべての文脈を完全に理解して、その文脈のなかで自分で結論を出すのではなく、なにか不気味な夕焼けの赤さであるとか、なんでもいいから掴まえたら、それに心を動かされる自分自身を追い詰めていけばいいと思っていますし、そのようにしてわたくし自身、生きてまいりました。ですから、それこそ、不意に向こうから差してくる日射しであるとか、急にあたりに立ち騒ぐ風と同じようなものとして、僕の言葉の断片を捉えていただければいいんじゃないでしょうか? それが正しい正しくないは別として、そういうことは世のなかには起こるんですから。

まったくもって正しいと。まぁこのコメント自体は頭の悪いインタビュアーに対してサービスで言ってるんでしょうが。