書籍という体裁は

「長い文章が読めない」「人の話を聞いていられない」などの現象は老化による集中力の衰えかと思っていたが、どうやらそれだけが原因ではないらしい。インターネットをやりすぎて神経系が変化しているらしい。マクルーハンのいう「メディアはマッサージである」は比喩ではなく現実の脳神経の話だったのだ。ネット・バカでは「直線的思考」と訳しているが、私流に言うと「説話論的な思考」が失われつつある。
本当かどうか知らないが最近の学生の中には本を最初から最後まで読むなんてことは非効率だと言う人がいるらしい。
いずれにしても書物という体裁のものを頭から最後まで読むという読書スタイルというのはすでに失われつつあるらしい。つまり必要な部分にさえアクセスすればその他の部分には価値はないということ。グーグルブックスそのものだ。
ここから予想される未来は本を一冊買うという習慣もなくなるだろうということ。ネット上にすべてのテキストがアーカイブされ、検索により必要な部分にだけアクセスする。多くの人がアクセスする部分が価値であり、全体はより大きな全体として境界が失われていく。
電子書籍元年という言葉もすっかり聞かなくなったが、将来において電子書籍というものはビジネスにはならないだろうというお話でした。

エシャロットとエシャレットと島らっきょう

安全ちゃんのレシピでエシャロット5個とあったのだが近所のスーパーにはエシャロットが売ってなかった。でもレシピに写っている野菜はどうみてもエシャロットではなく島らっきょうのように見える。島らっきょうとエシャロットは同じなのだろうかと疑問になって検索してみるとエシャロットと日本のスーパーに売っているエシャレットは別物で1年早取りのらっきょうをエシャレットと名づけて販売しているらしい。でエシャレットと島らっきょうは同じものという記述もあるし別物という情報もあってよくわからない。多分すごく似ているものなのだろう。結局、安全ちゃんのレシピはエシャロットではなくエシャレットが正しいのであって、島らっきょうでも同じようなものができるのだろうと考えたのだ。

断片

ジャーナリズムと言われていたものも実は広告主がいないと成り立たないものだったわけで、純粋な意味で反権力として機能し続けることはあらかじめ不可能だったわけである。
ネットが反権力の機能を負うことができるのか。巨悪をあぶり出すことができるのか。否である。
ウィキリークスもひとつの答えなのだろうが問題も大きい。
社会を良くしたいという気持ちを集めるシステムを作ること。

昨日のぶどうは

今日は娘だけを連れて保育園へ。朝食を食べさせ娘の荷物と連絡帳を用意する。うんちをしたのでおむつ交換。よく見ると色の抜けた葡萄の皮が大量にまざっている。一安心。色、抜けるんだね。

ぶどう好き

マーマーとニーニーはお友達のお家にお泊りのお出かけ。娘と二人きりで一晩過ごすのは初めてか。夜などたまにママがベッドにいないとビービー泣くこともあるので少し心配。ママの不在をだましとおせるかしら。

日中は先日録画しておいたサマーウォーズなどを観ながらドーナッツを食べたり、ブルーベリーを食べたり、ぶどうを食べたり、お茶を飲んだり、牛乳を飲んだりして過ごす。さんざん飲み食いしたあと、夕ごはんはどうしようかと近所のスーパーへ出かけることにする。娘は「ぶどうもっとぶどうもっと」といっているので「ぶどう買いにいくよ!」といって半ば強引に連れ出す。

デラウェアが1パック3房入で300円。安いんじゃないの? 娘はつるつるなら食べるかなということで冷やし中華に決定。きゅうりとハムと餃子とキムチを買う。マンションに戻ると入り口のところで「ここでまってる〜」いいってだだをこねる。ママが帰ってくるのを待つということ?

一息ついてさっさと夕食の準備にとりかかる。娘もやってきて流しでバチャバチャやっている。ニーニーと違い娘はテレビがついていようがご飯は食べる。ニーニーはテレビがついていると釘付けになってしまう。ニーニーは「辛いよ」といったものは絶対食べないが娘は食べたがる。食べるというのでキムチもひとかけら与えたが「からいー」と言うだけで特にいやそうでもない。冷やし中華の酸っぱい感じはきらいかなぁと心配したがまぁまぁ食べた。

食後にぶどうを食べるか?と尋ねると「たべる」というので一房を仲良く二人でいただく。最初はおとなしく食べるのだが途中からいちいち皮を咥えてこちらを向いて「べっ」とやる。「べっ」とやられた私はその口からはみ出している皮をつまんで「ぽい」と捨てる。というのが楽しいらしくしばらく繰り返す。残り6粒になったところで私は席を離れてソファに座ってテレビを見ながら一休み。「おぇっ!」という声で振り向くとまだ食べている。あれ?いつまで食べてるんだと見ると手に黒い塊を持っている。よく見るとぶどうの皮を握って塊状にしたもの。なんと皮捨て用の皿にあったぶどう一房分の皮がほとんどなくなっている。反対に実入りのぶどう6粒は残ったままだ。父が目を離すのをまって皮を食べ始めたということなのだろうか。まったくもって理解不能

風呂にはいってまた一休みしていると「ねんねする」というのでベッドへ。「ほんよんで〜」というので「ふねなのね」を読む。ふねなのねはここ数日のお気に入り。6回くらい読んでうとうとし始め入眠。

「ママは?」「ニーニーは?」と何度か尋ねられたくらいで特に困ることもなかったと思う。
明日は保育園。

ちなみにサマーウォーズははげしくつまらなかった。

ふねなのね (First Book Series)

ふねなのね (First Book Series)

花火

今年も家族で花火が見られた。昨年は途中で寝入ってしまった子供たちだったが、兄はたまたま近くにお友達がいたのでテンション最高潮で眠ることなくそして歩いて家まで帰った(途中から肩車だったが)。娘は開始直後入眠。ラストで目を覚まししっかり堪能していたようだ。